息栖神社跡地(旧鎮座地)│茨城県神栖市日川

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茨城県神栖市日川の息栖神社跡地の概要

息栖神社の旧鎮座地は、現社地から東南東7km、利根川を銚子港から21kmほど遡った平地にあります。現在は、「石塚開発の碑」の横に看板が立っているだけで、残念ながら息栖神社の跡地を示す小祠や石碑などはありません。

799年に津波が襲い社が流失するまでは、この地に息栖神社の前身となる「岐神(くなど、ふなどのかみ)を祀る社」が鎮座していました。この津波は、朝から晩まで十五回も潮が満ち引きし、満潮時には恐らく109mほど内陸にまで潮が迫ったと記されています(『日本後紀』)。

8年後の807年、当地から息栖(現在の神栖市息栖)へ遷座されました。

住所茨城県神栖市日川
※番地が振られていないため隣接する「石塚開発の碑」「石塚運動広場」を調べると良いでしょう。
看板『息栖神社の歴史』

現在の息栖神社は、その昔、日川に鎮座していました祠を、大同二年(八〇七年)、右大臣藤原内麿が勅命に依り現在地の息栖に遷座したと伝承されております。日川地区に鎮座していた当時の息栖神社が、なんという名で呼ばれていたかについては確かではありませんが史書「三代実録」には、仁和元年(八八五年)「於岐都説神(おきつせのかみ)従五位下を授けられる」と記されており、これが旧息栖神社のことではないかと推定されています。

この祭神の名称からは、川の中州、水辺に位置する神社という印象が想起されますが、このことは、祭神が岐神(くなどのかみ)天鳥船神(あまのとりふねのかみ)、住吉三神(上筒男神、中筒男神、底筒男神)という、海にまつわる神々であることに結びつきます。事実、日川地区内の遺跡からは平安時代の遺物等が発見されており、この神社を祀り、水上交通の安全を祈願したと思われる人々が居住していたことが確認されています。

息栖神社は、鹿島神宮、香取神宮と共に、東国三社の一つに称され、歴史の古い由緒ある社として、御神威は広く関東、東北一円にわたり地域住民からも地区の氏神として崇敬されています。

令和三年三月 神栖市教育委員会

現地写真

「石塚開発の碑」の右の白い看板のみが、この地が息栖神社旧鎮座地であること知らせています。

東国三社の跡地に、小祠どころか石碑すらないのは大変悲しいです。

草もぼうぼうで、地元の方曰く「昔は自治会の人で草を刈っていた。今は皆年を取ってできなくなった。行政にいくら言っても草を刈ってくれない」とのこと。

東国三社詣ブームにのり、息栖神社周辺を再開発する計画が進んでいるようですが、当跡地に小さな「奥宮」を設け、「東国三社の正三角形」(後述)として、観光の目的・目玉を増やせば win-win になるのではないでしょうか?

息栖神社移転年表

  • 270年~310年(応神天皇の治世)、久那斗神と天乃鳥船神を祭神として日川(現在の神栖市日川)に創建。
  • 799年(延暦十八年)、常陸の国を津波が襲い「岐神を祀る社」が流失。鹿嶋・那珂・久慈・多珂四郡に、朝から晩まで十五回も潮が満ち引きした。満潮時には109mも内陸に潮が迫り、干潮時にはかなりの距離まで潮が引いた(『日本後紀』を意訳)。
  • 807年(大同二年)、平城天皇の勅命を受けた藤原内麻呂により息栖(現在の神栖市息栖)に遷座
  • 885年(仁和元年)、「於岐都説神(おきつせのかみ)」に従五位下が授けられる(『日本三代実録』)。これが息栖神社のことと推定される。

東国三社は”三角形”か

東国三社は、香取神宮・鹿島神宮・息栖神社の総称です。

息栖神社の鎮座場所により三社が構成する三角形の形状が変化し、

  • ”現社地”を含む東国三社は”直角二等辺三角形”
  • ”旧社地”を含む東国三社は”正三角形”

と言われています。

関連資料:息栖神社(神栖市息栖)境内の石碑

息栖神社現鎮座地の石碑に、当跡地と遷座に関する記述が見えます。

「旧蹟日川に碑を建てるとともに記念事業をも行い…」とありますが、残念ながら跡地には「碑」のような物は見当たりません。

息栖神社(神栖市息栖)境内の石碑

悠久

息栖神社は古くより鹿島神宮・香取宮と共に東国三社の一社に表えられている名社である。遡れば大同二年(西暦八〇七年)に日川より移転して一千二百年の歴史がある。日本後記に延歴十八年常陸国に津波襲来の事があり岐神を祀る社が流失した為に沖の洲に良地を求めて再建され忍潮井の名水もまた伝承されたのである。三代実録に従五位に神階が進んだ記事が見えて常陸の国・有数の社とされ明治元年にはじめて勅使が参向し 同十年には茨城県の県社に列格した。この長い歴史の間に神域は風格のある息栖の森となり水郷の美の一端を占めて江戸時代以降文人墨客の訪れも多くなる。配祀する天鳥船神・住吉三社も歴史を物語り祭典もまた古風を伝えている。ここに息栖御選座一千二百年を記念して旧蹟日川に碑を建てるとともに記念事業をも行い氏子崇敬者等深く神恩に感謝するものである。

平成十九年四月十三日
息栖神社宮司 中臣則良 題額
茨城県神社庁参与 龗神社宮司 矢作幸雄 撰文
息栖神社権禰宜 荒并昭男

基本情報

社号息栖神社跡地
ご祭神
住所茨城県神栖市日川
「石塚開発の碑」(茨城県神栖市日川4199-3)の右隣
緯度経度:35.86002379272104, 140.69498924631162
その他■息栖神社公式HP
https://ikisujinja.com/

■神栖市魅力情報発信ポータルサイト「カミスミカ」
 関東屈指のパワースポット東国三社のひとつ「息栖神社」
https://kamisu-pr.jp/2021/12/17/ikisujinja/

参考

上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。

  • 『新修 香取神宮小史』香取神宮社務所 編 1995年
  • 『鹿島神宮』東 実 著 1968年
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