息栖神社(いきすじんじゃ)│茨城県神栖市息栖

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茨城県神栖市息栖(かみすしいきす)の息栖神社(いきすじんじゃ)の概要

息栖神社は、香取・鹿島両神宮と共に東国三社に数えられる、茨城県神栖市息栖に鎮座する神社です。

鹿島神宮の境外摂社で、神宮の南9.3kmほど、常陸利根川から内陸400mほどの川のほとりにあります。往古、同市日川(にっかわ)にあった社が、平安時代の津波で被災、807年に当地に遷座しました。

明治期から終戦期まで県社に列格していました。

祭神(息栖五所明神)

祭神は、「海上保護」「交通保護」に関連する次の五柱です。

主神久那斗神(くなどのかみ)・大国主より遣わされた「案内の神」(書籍『鹿島神宮』)
・一般的に、境界で災難の侵入を防ぐ神。
相殿天乃鳥船神(あめのとりふねのかみ)・出雲神話の「同行の神」(書籍『鹿島神宮』)
相殿住吉三神(すみよしさんじん)
・底筒男命(そこつつのおのみこと)
・中筒男命(なかつつのおのみこと)
・表筒男命(うわつつのおのみこと)
・三柱は、伊邪那岐命が黄泉の穢れを祓った際に海中から生じた神

文献によって次の祭神の名が見えます。

  • 岐神(『日本後紀』)
  • 於岐都説神(おきつせのかみ)(『日本三代実録』)
  • 猿田彦(『息栖神社の文書』(『日本の神々 関東』P330))

東国三社

江戸時代、”お伊勢参りのみそぎ参り”として、伊勢から江戸への帰路に、香取神宮・鹿島神宮・息栖神社の「東国三社」を詣でる「東国三社巡り」(東国三社参り)が流行ったそうです。

息栖神社の鎮座場所により三社が構成する三角形の形状が変化し、

  • 息栖神社の”現社地”を含む東国三社は”直角二等辺三角形”
  • 息栖神社の”旧社地”を含む東国三社は”正三角形”

と言われています。

息栖神社移転年表

  • 270年~310年(応神天皇の治世)、久那斗神と天乃鳥船神を祭神として日川(現在の神栖市日川)に創建。
  • 799年(延暦十八年)、常陸の国を津波が襲い「岐神を祀る社」が流失。鹿嶋・那珂・久慈・多珂四郡に、朝から晩まで十五回も潮が満ち引きした。満潮時には109mも内陸に潮が迫り、干潮時にはかなりの距離まで潮が引いた(『日本後紀』を意訳)。
  • 807年(大同二年)、平城天皇の勅命を受けた藤原内麻呂(鎌足四代の裔孫。内麻呂七代の裔孫が道長)により息栖(現在の神栖市息栖)に遷座
  • 885年(仁和元年)、「於岐都説神(おきつせのかみ)」に従五位下が授けられる(『日本三代実録』)。これが息栖神社のことと推定される。

見所多数!

駐車場から参拝すると気づきませんが、当社は利根川(常陸利根川)のほとりに鎮座しています。

土手からの利根川の眺望、忍潮井の女・男甕、船溜りの一之鳥居、朱色の神門など、見所が多数あります。境内入り口(一之鳥居)から利根川水門まで250m程度ですので、是非、土手からの往時の参拝をお勧めします。

創建・由緒

境内の説明書の石碑

悠久

息栖神社は古くより鹿島神宮・香取宮と共に東国三社の一社に表えられている名社である。遡れば大同二年(西暦八〇七年)に日川より移転して一千二百年の歴史がある。日本後記に延歴十八年常陸国に津波襲来の事があり岐神を祀る社が流失した為に沖の洲に良地を求めて再建され忍潮井の名水もまた伝承されたのである。三代実録に従五位に神階が進んだ記事が見えて常陸の国・有数の社とされ明治元年にはじめて勅使が参向し 同十年には茨城県の県社に列格した。この長い歴史の間に神域は風格のある息栖の森となり水郷の美の一端を占めて江戸時代以降文人墨客の訪れも多くなる。配祀する天鳥船神・住吉三社も歴史を物語り祭典もまた古風を伝えている。ここに息栖御選座一千二百年を記念して旧蹟日川に碑を建てるとともに記念事業をも行い氏子崇敬者等深く神恩に感謝するものである。

平成十九年四月十三日
息栖神社宮司 中臣則良 題額
茨城県神社庁参与 龗神社宮司 矢作幸雄 撰文
息栖神社権禰宜 荒并昭男

境内の説明書の看板
息栖神社跡地(神栖市日川)の看板

現在の息栖神社は、その昔、日川に鎮座していました祠を、大同二年(八〇七年)、右大臣藤原内麿が勅命に依り現在地の息栖に遷座したと伝承されております。日川地区に鎮座していた当時の息栖神社が、なんという名で呼ばれていたかについては確かではありませんが史書「三代実録」には、仁和元年(八八五年)「於岐都説神(おきつせのかみ)従五位下を授けられる」と記されており、これが旧息栖神社のことではないかと推定されています。

この祭神の名称からは、川の中州、水辺に位置する神社という印象が想起されますが、このことは、祭神が岐神(くなどのかみ)天鳥船神(あまのとりふねのかみ)、住吉三神(上筒男神、中筒男神、底筒男神)という、海にまつわる神々であることに結びつきます。事実、日川地区内の遺跡からは平安時代の遺物等が発見されており、この神社を祀り、水上交通の安全を祈願したと思われる人々が居住していたことが確認されています。

息栖神社は、鹿島神宮、香取神宮と共に、東国三社の一つに称され、歴史の古い由緒ある社として、御神威は広く関東、東北一円にわたり地域住民からも地区の氏神として崇敬されています。

令和三年三月 神栖市教育委員会

基本情報

社号息栖神社
ご祭神久那斗神(くなどのかみ)、天乃鳥船神(あめのとりふねのかみ)、住吉三神(すみよしさんじん)(底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと))
境内社高房神社、伊邪那岐神社、鹿島神社、香取神社、奥宮、江神社、手子后神社、八龍神社、稲荷神社、若宮
住所茨城県神栖市息栖2882
その他■息栖神社公式HP
https://ikisujinja.com/

■神栖市魅力情報発信ポータルサイト「カミスミカ」
 関東屈指のパワースポット東国三社のひとつ「息栖神社」
https://kamisu-pr.jp/2021/12/17/ikisujinja/

■神栖市HP
公報かみす2019年1/1・15 特集息栖神社

参考

上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。

  • 『新修 香取神宮小史』香取神宮社務所 編 1995年
  • 『鹿島神宮』東 実 著 1968年
  • 『日本の神々 神社と聖地 11 関東』谷川 健一 編 1984年
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